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がん専門医のコラム(インタビュー仲山さとこ)

【がん専門医】

「がんを診れる医者」を志したきっかけは、21歳でがんになった友達

<プロフィール>

瀬尾 卓司 医師

 

 

うじな家庭医療クリニック医院長。

国立がん研究センター、沖縄県立中部病院、亀田総合病院、広島大学病院、他で従事。

資格、がん薬物療法専門医(抗がん剤の専門医)、内科認定医、家庭医療専門医、医学博士。

 

故郷の広島市世羅町にある医療法人瀬尾医院に戻り、うじな家庭医療クリニックを開院する。

がんになる前、なってから、治療後にも安心して生活できるような医療を提供することを目標にしている。

 

2024年より無料市民講座を行い、がんについての正しい情報を伝える活動も精力的におこなう反面、マイホームパパで、子供と自転車の練習をするのが楽しみ。

 

ー広島県でがん患者を診れるクリニックを設立した医師ー

瀬尾 卓司 医師

ーがんを診れる医者とは?ー

――先生は「がんを診れる医者」でありたいと聞いています。「がんを診れる医者」とは、どのような医者ですか

瀬尾:患者さんを臓器別に診るのではなく、がん患者さんそのものを診る医者です。

 

――「がんを診れる医者」をめざしたのはなぜですか。

瀬尾:大学4年生で21歳の時、友達のA君ががんを発症したことがきっかけです。

 

 

――A君との出会いからお聞かせください。

瀬尾:出会ったのは小学生のときです。僕は世羅町でA君は隣町に住んでいたので、小学校は別でしたが塾が一緒でした。中学校は別で、僕は長野県にある高校に進学しました。高1の冬に父が心筋梗塞になったのを機に世羅町に戻り、広島の高校に転校したら、同じクラスにA君がいたんです。父はその後回復しました。

 

 

――仲の良い友達だったそうですね。

瀬尾:僕は典型的な高校生、A君はちょっと浮いているというか、人と群れず、大人びていました。僕たちが全然違うタイプだったのでクラスの他の友達は不思議がっていましたが、なぜか馬が合いました。

ー瀬尾先生とA君との出会いー

――高校時代の思い出を教えてください。

瀬尾:社会の先生、確か日本史だったかな。その先生が元同志社大学ラグビー部で

「ラグビーがしたい」と言うので、A君とクラスの4、5人を誘い、ラグビー部みたいなものを発足させました。

 

人数が全然足りない、ただ楽しむだけの部です。

でも、最終的に他の高校と合同チームを作って試合にも出たんですよ。

ポジションも覚えていないけど、楽しかった思い出です。

 

 

――A君とは高校卒業後も付き合いが続いたのですね。

瀬尾:僕は愛知の医科大学へ、A君は東京の大学に進みました。

普段はメールや電話でやりとりをして、週末に東京へ遊びに行ったこともあります。

 

 

――A君ががんを発症したことをどうやって知りましたか。

瀬尾:本人からではなく、お母さんからの電話で知らされたと記憶しています。

医者から「スキルス胃がんでステージ4です。手術はもうできない。

 

腹水も溜まっているから緩和ケアの方向がよいのではないか」と言われたそうです。

お母さんは「それでも何とか治療できないか」と相談してきたんです。

 

 

 

ーA君のがんについてー

――どのように感じましたか。

瀬尾:僕の頭は「そんなことあるんかな」という疑問でいっぱいでした。

この電話をもらうほんの数か月前に、東京で一緒にご飯を食べていたんです。

そのA君ががんで、あと数か月とか半年とか言われても、という感じでした。

 

ただ、ちょっと気になることはありました。

お酒が好きなA君が「なんだか最近、飲めないんだよな。

すごくお腹いっぱいになっちゃって」と言っていたんです。

でも、それ以外はいつもどおりでした。

 

 

――瀬尾先生の周囲にがん患者さんはいましたか。

瀬尾:いいえ。母方の祖母がすい臓がんで亡くなったくらいです。

90代で寿命ともいえたし、仕方ないという気持ちでした。でも、A君は全然違う。

僕と同い年の21歳で、しかも仲のいい友達でしたから。

ーがん治療の苦痛をA君から感じたー

――それからどうしたのですか。

瀬尾:医者である父に伝えたところ、熱海の病院で消化器内科をしている

父の同級生の医者を紹介してもらうことになりました。

A君はその病院に入院し、抗がん剤治療を受けることになりました。

 

――入院中のA君はどんな様子でしたか。

瀬尾:「治療ってすごく辛いんだな」ということを知りました。

決まった時間に薬を飲むことさえも苦痛だったようです。

 

 

――薬を飲むのがつらいとはどういうことですか。

瀬尾:副作用が出た後のことを考えるからです。副作用で「手に震えが出る」と言えば「神経内科で診てもらってください」、「動悸がします」と訴えれば

「心臓の先生に診てもらいましょう」と言われます。

それががん患者にとっては負担なのです。

 

 

だから、「薬をちゃんと飲んでいますか」と聞かれると「はい、飲んでいます」と答えてしまう。

A君は「どうせ別の科を回らなくちゃいけなくなるから、副作用のことは相談しにくくなるんよね」と言っていました。

ーがんセンターに突き放された思いー

――学生時代、A君の付き添いでがんセンターに行ったことがあるそうですね。

瀬尾:昔も今も、「がんセンターに行けば何か特別で最新の治療を受けられるのでは」と考える人は大勢います。A君もその一人でした。

僕がA君に付き添ってがんセンターに行ったとき、

医者はA君に「いやいや、もう何もできることはないから、地元に帰って過ごした方がいいよ」と言いました。

 

 

――どう感じましたか。

瀬尾:すごく突き放された気持ちになり、

「がんセンターって、こんなものか」と思いました。

ひとつ付け加えますと、医者としてがんセンターで働いた経験から、がんセンターにはとても良い先生が揃っていることを知っています。しかし、A君の話も事実です。

 

 

――A君の私生活はいかがでしたか。

瀬尾:渋谷に住んでいる大学生だったA君は、就職も決まっていて、婚約者もいました。でも、彼はがんのことを家族と僕以外には一切言わなかった。内定先を辞退して、婚約者ともお別れしました。

 

ーA君の最後の時間と、瀬尾先生に託した本音ー

――自分ががんであることについて、A君はどのように考えていたのでしょうか。

瀬尾:誰でも一度は、「がんを告知された人は、“否認”“怒り”などのステップを経て、最終的に受け入れる」と聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

実際はそんな簡単な話ではありませんでした。

21歳のA君が受け入れられるはずもなかった。

いつも「世の中にはこんなにたくさんの人がいるのに、なんで自分がこんなことになったのか」と言っていました。

 

 

――それが正直な気持ちだったのですね。

瀬尾:ほかにも、周りから「緩和ケアは好きなことをして残りの人生を過ごすことだよ」と言われても、A君はただただ「健康になりたい」と言っていました。

 

 

――A君のご家族について思うところがあったそうですね。

瀬尾:医者や看護師は、がん医療に関わる人の中にご家族を必ず入れて、

もっと耳を傾けなきゃならないと感じました。

 

A君の最期が近づくにつれ、医者や看護師が「自宅で過ごしたいですか。それともどこか好きなところに行って過ごしたいですか」と尋ねるんです。

すると、「これから自分はいなくなるのだとわかっている。

残された人生を生きていくのは、僕ではなく家族。

自分はどんな死に方でもいいから、家族が後悔しない死に方をさせてほしい。

家族が僕の死を一番受け入れられる死に方をさせてほしい」と答えていました。

 

 

――A君の闘病はどれくらい続きましたか。

瀬尾:なんやかんやありましたが、1年半ぐらいがんと付き合ったのちに旅立ちました。

A君のことを思い出すと、今でも涙が出ます。

 

でも、A君がきっかけで、僕は「がんを診れる医者になりたい」と思うようになりました。医学生だった僕はA君からすごくさまざまな経験をさせてもらったと思っています。

 

ーがん専門医についてー

――「がん専門医」について教えてください。

瀬尾:がん関連の専門資格は多岐にわたっており、それらの資格を持つ医者をまとめて「がん専門医」と称することがあります。

僕のような「がん薬物療法専門医」も、「がん専門医」のひとつです。

 

――「がん薬物総合専門医」について教えてください。

瀬尾:簡単にいえば「抗がん剤の専門医」です。先にお話ししたとおり、学生の頃から「がんを診れる医者」をめざしていたので、5年くらい勉強して資格を取りました。

ほかに「内科認定医」、「家庭医療専門医」、「プライマリケア学会認定医」を持っています。

 

――先生にとって資格とはどのようなものですか。

瀬尾:どの資格も取得が目的というより、医学の道に進んだ結果として取れたという感じです。

患者さんやご家族への説得力が増すという意味では、資格が役立っているのかなと思います。

 

 

――今、A君に伝えたいことはありますか。

瀬尾:うじな家庭医療クリニックの「がんサバイバー外来」を始めたばかりで、

まだまだこれからだと思っています。

 

でも、もし彼が生きていて、あのときと同じステージ4のスキルスがんの診断だったら、

そしてA君に相談されたら、僕の外来に来てもらいたいです。

 

日本で1番いい治療をさせてあげられるかもしれないかな。。。

 

 

 

 

 

 

お礼

瀬尾先生、快くインタビューにお答えいただき、ありがとうございました。

インタビュー2へ続きます。

 

 

瀬尾医師のクリニック:うじな家庭医療クリニック

https://ujina-family-clinic.com/


書いた人のコメント

 

私は、がん家族の"クッション”のような存在でありたい。

がん家族が抱えるあらゆる気持ちをクッションのように受け止め、和らげるお手伝いをしたいです。


インタビュー 文 仲山さとこ

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